ブックレビュー
佐藤正午著「小説の読み書き」(岩波新書)
皆さん、こんにちは!
定期的に小説の書き方講座の本を読んでいます。
そこで今回は「小説の読み書き」を取り上げます。
小説でもっとも大事なのは、書き出しだと言われています。
本書はその書き出しについて論じたもの。
わかりやすく言うと、小説の書き出しではなく、「小説家」の書き出しとは何か。そんな文章読本でしょう。
『小説の読み書き』(佐藤正午)小説家の書き方とは?

小説家はどんなふうに読み,また書くのか。近代日本文学を代表する小説家たちの作品を取り上げ、「小説の書き方」ではく、「小説家の書き方」を記しています。
小説家の視点から考えるユニークな文章読本です。読むことは書くことに近づく、とも言っていますよ。
小説家視点からの小説の書き方を紹介です。夏目漱石『こころ』や川端康成『雪国』、太宰治『人間失格』、谷崎潤一郎『痴人の愛』といった有名どころの小説から、横光利一『機械』や永井荷風『つゆのあとさき』といった作品も。
まず川端康成「雪国」
あまりにも有名な作品。
書き出しは、
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。
一読して、巧みだなあと思いますね。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。地面が白くなった。
こんな書き出しだっていいわけです。
「別に地面じゃなくても、あたり一面でもいい。見渡すかぎりでも、野の畑でもかまわない。とにかくそういう意味である。そういう意味を表現するために川端康成は、夜の底、と書いた。~~わざわざ夜の底と隠喩を用いて書いた。なぜか? なぜかはわからない。それはそう判断した本人に聞いてみなければわからない。(本文より)
おそらく、いろいろ吟味して最終的にこう書いたのでしょう。
永井荷風『つゆのあとさき』では、冒頭の「女給の」という言葉にひっかかりを覚えたそうです。
永井荷風「つゆのあとさき」
女給の君江は午後三時からその日は銀座通のカッフェーへ出ればいいので、市ヶ谷本村町の貸間からぶらぶら堀端を歩み見附外から乗った乗合自動車を日比谷で下りた。
佐藤正午氏は、「女給の君江」の表現にひっかかったと述べているのです。
その日、午後三時から銀座通のカッフェーへ出ればいいので、市ヶ谷本村町の貸間からぶらぶら堀端を歩み見附外から乗った乗合自動車を日比谷で下りた。
と書く方法もある、と言っている。確かにこの表現のほうがしっくりきますね。
なぜ「女給」を入れたのか。「読者をいくらか子供扱いしている」と指摘していますけど。
まあ、いろいろあります。小説家の表現ですから。
筆者も「女給」は不要だと思いました。
小説を読むことは、書くことに近づきます。そういう意味では、すごく参考になる一冊でした。

まとめ
さまざまな文章読本があります。筆者もかなり読みましたね。この本は、この「書き出し」がすべてではない、ということを示しています。あなたなら、どう書くでしょうか。そんな一冊です。
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