つげ義春さん死去・88歳──生涯と代表作『ねじ式』が今も語りかけるもの

作家の生涯
つげ義春、静かに逝く ── 88年の生涯と、漫画という夢の地図

訃報 ・ 追悼 / 2026.03.27

つげ義春、静かに逝く ── 88年の生涯と、漫画という夢の地図

1937年 東京葛飾生まれ / 2026年3月3日 永眠 / 享年88歳

2026年3月3日。漫画家のつげ義春さんが、誤嚥性肺炎のため東京都内の病院で静かに息を引き取った。88歳だった。訃報が公表されたのは死から24日後のこと。葬儀はすでに親族のみで済まされていた。その最期もまた、公の場を好まなかったつげさんらしく、物音一つ立てずに終わった。

01 昭和の下町から這い出た、一人の少年

1937年、東京・葛飾区に生まれたつげ義春さんの少年時代は、貧困と戦争の記憶によって塗り固められている。空襲で満足に学校にも通えず、終戦後は養父の暴力に怯える日々。転々とした間借り暮らしの中でつげさんが唯一の逃げ場にしたのが、漫画と本だった。手塚治虫の作品を一冊手に入れるために、おもちゃを売って金を工面したというエピソードは、後の「無能の人」に滲む貧しさの質感と地続きだ。

小学校卒業とともにメッキ工場に勤めたつげさんは、やがて「漫画家なら一人でいられる」という理由で創作の道を志す。赤面恐怖症を抱え、人との接触を苦手としたつげさんにとって、白い紙の上だけが安全な場所だったのかもしれない。1954年、17歳のときに雑誌『痛快ブック』でデビュー。翌年には貸本漫画家として本格的に歩み始める。

1937年

東京・葛飾区に生まれる。幼少期は戦火と貧困の中で育つ

1954年

雑誌『痛快ブック』で漫画家デビュー。18歳で貸本漫画家として本格始動

1965年

伝説の漫画誌『ガロ』への掲載開始。その独自の作風が若い読者を獲得

1968年

「ねじ式」発表。日本漫画史上最も前衛的な短編の一つとして絶賛される

1987年

新作発表をほぼ停止。以後は沈黙を守りながら伝説の存在となる

2020年

第47回アングレーム国際漫画祭特別栄誉賞受賞。世界的評価が確定

2026年3月3日

誤嚥性肺炎により88歳で永眠

◈ ◈ ◈

02 『ガロ』という場所と、表現の革命

転機は1965年にやってきた。青林堂が刊行する漫画誌『ガロ』への参加だ。商業的な少年誌では決して許されなかった「物語のない漫画」「結末のない漫画」「意味を問わせる漫画」──そうした実験的な作品群を、つげさんは次々と世に送り出した。

この時代、全共闘運動に揺れる大学生たちがつげさんの漫画に群がった。彼らが感じていたのは、高度経済成長の光の届かない場所にある日本の影、つまり社会の底辺で蠢く人々の生活の質感だった。旅先の安宿、田舎の温泉、廃れゆく商店──つげさんが描くのは、常に「取り残された場所」と「そこに生きる人々」だった。

「旅に出るのは、日常から逃げたいからではなく、日常の本質を見つめ直すためだ」という感覚が、つげさんの作品の根底に流れている。つげさんの旅は観光ではなく、漂流だった。

03 代表作を読む ── 夢と不条理の迷宮

「ねじ式」

つげ義春さんの名を永遠に刻んだ問題作。体にねじを差し込まれた少年が、謎の女医を求めてさまよう夢のような物語。脈絡のないコマとコマ、突然変わる時間軸、現れては消える人物たち──。これは「夢」そのものの構造を漫画の文法に置き換えた試みだ。フロイト的な解釈から民俗学的読解まで、あらゆる方向から語られてきたこの作品は、「正解」を拒絶し続けることで生命力を保ち続けている。読むたびに違う顔を見せる漫画は、そう多くない。

「ゲンセンカン主人」

閉鎖的な温泉宿を舞台にした短編。時間が止まったような空間に佇む宿の主人、訪れる奇妙な客たち、そして語り手の夢と現実の境界。つげさんの旅漫画の中でも特にシュールな一作で、ビジュアルのインパクトと不気味な叙情性が同居している。宿そのものが意識の迷宮のように機能し、読者は物語の「外」に出られなくなる。

「紅い花」

地方の川辺を旅するつげさんが、少女・ルリ子と出会う物語。シュールさを抑え、叙情性を前面に出した作品で、淡い恋情と土地の匂いが静かに交差する。「ねじ式」のような衝撃ではなく、霧の中に消えていくような余韻が特徴で、つげさんの「別の顔」を知る一作だ。この作品だけを読んだ人は、「ねじ式」との落差に驚くかもしれない。

「無能の人」

1987年の創作停止前夜に描かれた自伝的連作。河原で石を売って生計を立てようとする男の、滑稽でありながら切実な日常が描かれる。竹中直人が主演・監督を務めた映画版(1991年)でヴェネツィア映画祭国際批評家連盟賞を受賞し、国際的にも注目された。「無能」という言葉が自己批判ではなく、どこか誇りと哀愁を帯びているのがつげさんの世界の本質だ。

「李さん一家」

在日朝鮮人一家の暮らしを温かみとリアリティをもって描いた作品。貸本時代の傑作の一つで、マイノリティへの眼差しと社会的背景の描写において、当時の漫画としては異例の深さを持つ。後にその先駆性が再評価され、つげさんの多面性を示す重要作として位置づけられている。

◈ ◈ ◈

04 なぜ今も共鳴するのか

つげ義春さんが新作を発表しなくなって約40年。それでも作品は、世代を超えて読まれ続けている。なぜか。

①「取り残された場所」は消えない

高度経済成長が置き去りにした農村、廃れた温泉地、食えない芸術家の日常──つげさんが描いたような場所は、形を変えながら今も存在し続けている。令和の地方消滅、非正規雇用、孤独……「周縁」の問題は、ますます切実になっているとさえ言える。つげさんの漫画はその周縁の詩学として、今も有効だ。

②「夢」という普遍の言語

「ねじ式」を筆頭に、つげさんの作品の多くは夢の論理で構成されている。意味を問わず、感覚で飛んでいく構造は、人間が夢を見る限り普遍的な共鳴を持ち続ける。SNS時代に断片的なイメージが洪水のように流れる現代においても、むしろその感覚は鋭く刺さる。

③「無能」であることの肯定

つげさんの主人公たちは、だいたいうまくいかない。仕事はなく、金もなく、社会に適応できない。しかしその「うまくいかなさ」が、諦念ではなく妙な尊厳とともに描かれる。競争と効率を求め続ける社会の中で、「負けることの美学」は不思議な解放をもたらす。

浅野いにおをはじめとする現代漫画家たちが明示的につげさんの影響を認めているのも、こうした普遍性の証左だ。技法としての「夢の文法」と、思想としての「周縁への眼差し」──その両輪が、つげ義春さんを時代横断的な存在にしている。

05 沈黙という表現、そして世界の評価

1987年以降、つげ義春さんは事実上の筆を折った。その後の約40年間、ほとんど公の場に姿を現さなかった。しかしその沈黙は、忘却ではなかった。

2020年、フランスのアングレーム国際漫画祭が特別栄誉賞を贈った。ヨーロッパの批評家たちが、つげさんの漫画に文学や映画と同等の価値を見出したのだ。翌2022年には日本芸術院会員に選出され、2024年には旭日中綬章を受章。寡作で不遇だった若き日のつげさんが聞いたら、果たして信じただろうか。

遺族のコメントはこう結ばれていた。「これからも父の作品を読み続けていただけましたら、父にとりましてこの上ない供養となるものと存じます」──静かな言葉の中に、すべてが込められている。

06 読者へ ── 今こそページを開く理由

つげ義春さんの漫画は、「楽しい」とは少し違う読後感をもたらす。胸がざわつき、どこか懐かしく、しかし自分には経験のない場所の記憶が刷り込まれたような感覚。それはつげさんが、読者の「潜在意識」に直接語りかけていたからだ。

もしあなたが「ねじ式」を一度でも読んだことがあるなら、あの不思議な余韻を今でも覚えているはずだ。それは漫画が文字や絵を超えて、人の内部に住み着いた証拠だ。そして今、つげ義春さんという存在がこの世から去った今こそ、もう一度ページを開いてほしいと思う。

つげさんの漫画には、「答え」がない。だからこそ、読むたびに問い続けることができる。それが文学としての漫画の力であり、つげ義春さんが切り開いた地平の深さだ。

「シュールな作品からリアリズム作品、夢や旅を題材にしたものまで、幅広いジャンルを描き分けることのできる、稀有な漫画家であったと思います」──長男・つげ正助による遺族コメント

1937年の葛飾に生まれ、貧しさと孤独と夢を抱えながら白い紙と向き合い続けたつげ義春さんが、2026年3月3日に旅を終えた。その旅の記録は、今もページの中に生きている。

つげ義春 / 1937〜2026
ご冥福をお祈りいたします

© 2026 / 参考:筑摩書房公式発表、各報道機関 / つげ義春コレクション(筑摩書房)

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