西村賢太とはどんな作家か|中卒・日雇いから芥川賞へ、『苦役列車』が描いた人間の底

作家の生涯
西村賢太 — 苦役の果てに咲いた私小説の花
文学ノート — 作家論

底辺から芥川賞へ
西村賢太という孤独な炎

苦役列車 ・ 生涯 ・ 代表作

1967 — 2022

父の罪と、少年の傷

西村賢太は1967年(昭和42年)7月12日、東京都江戸川区に生まれました。祖父の代から続く運送業の家庭で、当時の暮らしはさほど貧しくなかったといいます。しかし、彼が小学5年生のとき、人生の歯車が大きく狂い始めます。父親が連続強姦事件を起こして逮捕・収監されたのです。両親は離婚し、西村は母と姉の三人、母子家庭での生活を余儀なくされました。

その後も転居を繰り返す不安定な少年時代。中学時代には不登校となり、高校にも進学せず、中学卒業とほぼ同時に家を飛び出して東京・鶯谷で一人暮らしを始めます。中卒で雇ってくれる会社がなかったため、定職には就かず、日雇い仕事を転々とし、その日暮らしで家賃も滞納するほど生活は困窮していたといいます。

港湾荷役、警備員、冷凍倉庫の仕事……。学歴もなく、父の犯罪という消えない烙印を背負った若者が、東京の底で見た景色。それが後年、彼の文学の血となり肉となります。

「低学歴」は、西村賢太にとって恥ではなく、むしろ文学のエネルギー源でした。書くことへの渇望は、正規の回路を持たない者が、唯一手にできた武器だったのかもしれません。

古書と私小説との出会い

学校には行かなかった西村ですが、本は読みました。港湾荷役や警備員などの仕事をしながら古書店に通い、私小説にのめりこんでいきました。16歳の頃から神田神保町の古本屋に通い詰め、やがて田中英光、そして大正期の無頼派作家・藤澤清造の文学と運命的に出会います。

藤澤清造は、明治から大正にかけて活動した石川県七尾市出身の破滅型私小説家です。無一文で絶望的な生を送り、極貧のうちに死んだ作家。その生き様と文学に、西村は自分自身の姿を見たのかもしれません。無頼派作家に関心を持ち、藤澤清造の「没後弟子」を自称するようになります。以来、藤澤の菩提寺がある石川県七尾市への墓参を繰り返し、個人として「藤澤清造全集」の刊行に向けて尽力し続けました。それは生涯を通じた、師への敬慕の行為でした。

2003年、36歳のとき、同人雑誌「煉瓦」に入会して本格的に小説を書き始めます。翌年、「けがれなき酒のへど」が文芸誌「文學界」2004年12月号に同人誌優秀作として掲載され、商業誌デビューを果たしました。遅咲きといえばそうですが、西村にとっては長い雌伏の時間があってこそ、作家としての核が熟成されていたのでしょう。

受賞までの茨の道

2004年

「けがれなき酒のへど」が『文學界』に掲載。商業誌デビュー。

2006年

『どうで死ぬ身の一踊り』刊行。第134回芥川賞候補・三島由紀夫賞候補。

2007年

『暗渠の宿』で第29回野間文芸新人賞受賞。初の栄冠を手にする。

2008年

『小銭をかぞえる』で第138回芥川賞候補。二度目の候補落選。

2011年

「苦役列車」で第144回芥川賞受賞。43歳、「平成の私小説作家」として文壇の表舞台へ。

38歳で専業作家になったが、短篇で本がまとまっても入るのは50〜60万円程度で、年収は200万円にも届かなかった。野間文芸新人賞をもらっても生活は改善されず、先行きの不安を抱えながら書き続けた日々。それでも筆を折らなかったのは、書くことへの信仰ともいえる執念があったからでしょう。

芥川賞の受賞会見での発言は、当時大きな話題を呼びました。「受賞が決まった瞬間は、誰とどこにいましたか」という質問に「自宅で。そろそろ風俗に行こうかなと。行かなくて良かったです」と発言し、その破天荒なキャラクターが注目を集めました。この一言だけで、西村賢太という人間の輪郭が、読者の脳裏に鮮明に刻まれたといっても過言ではありません。

代表作『苦役列車』の凄味

苦役列車 書影

苦役列車

西村賢太 著 / 新潮社 / 2011年

劣等感とやり場のない怒りを溜め、埠頭の冷凍倉庫で日雇い仕事を続ける北町貫多、19歳。将来への希望もなく、厄介な自意識を抱えて生きる日々を、苦役の従事と見立てた——。

単行本発売後1ヶ月で19万部を突破。純文学としては異例のヒット作。2012年映画化。

第144回 芥川賞受賞

主人公の名は北町貫多。19歳の日雇い労働者です。幼少の折、彼の父親が性犯罪を犯したことで家庭は崩壊した。両親の離婚、数度の転校を繰り返すなかで鬱々とした青春時代を過ごす彼は将来への希望を失った。やがて中学校を卒業した彼は、母親からむしり取った金を手に家を飛び出し、港湾での荷役労働に従事することで一人暮らしを始める。

日当5500円の日雇い仕事。稼いだ金はほぼ即日、安酒とソープランドに消えていきます。友人も恋人もいない。あるのは肥大した自意識と、くすぶる劣等感だけ。

「僕が言う苦役とは、妬み、嫉み、ひがみといった厄介な感情を抱えて生きていること」——西村賢太

この作品の凄味は、「ダメ人間の赤裸々な告白」というだけではありません。主人公・北町貫多の無為な日々を描いたこの作品は、自身の実体験を織り交ぜ”私小説”の伝統を受け継ぎながらも、どこかユーモラスで現代的な作風で多くの共感を集め、純文学としては異例のヒットを記録しました。

読者が息をのむのは、人間の醜さや弱さが、まるで解剖されるように精密に描かれているからです。貫多の卑屈さ、嫉妬、自己嫌悪——それは読者自身の内側にある何かを、鏡のように映し出します。人間誰しも持っている、エゴ・見栄・どうでもいいプライドを言ってます。普段私たちは本能を薄ーい皮でどうにか抑えているのだと思うのですよ。しかし、彼は抑えない。だからこそ、読者は引き込まれ、読後に不快感よりも人間臭い温かみを感じてしまう。

さらに見逃せないのが、文章の質です。その文章は滑らかであった。そしてその滑らかな文章のなかに今、殆ど使われなくなった語彙が効果的に使われていた。どの表現も自信に満ち、迷いやためらいがまるで感じられなかった。中卒の「文盲」どころか、西村の文体は古風でありながら独自の律動を持ち、破天荒な内容との落差が、読む者を翻弄します。

芥川賞の選考委員の反応も様々でした。石原慎太郎、山田詠美、島田雅彦らからは高く評価された。村上龍は「高い技術を持っているが、『人生は不条理だ』というテーマは陳腐だと思う」と評した。技術は認めながらも、テーマの陳腐さを指摘する声があったことも、この作品の際立った個性を物語っています。

「現代文学に私小説が逆襲を遂げた」——そう帯に記された言葉は、決して誇張ではありませんでした。

その他の主要作品

2006年
どうで死ぬ身の一踊り

商業出版デビュー作。芥川賞・三島由紀夫賞の候補となり、一躍注目された「貫多もの」の起点。

候補作
2006年
暗渠の宿

貧困の中で女を求め、嫉妬と暴力の中に沈んでいく男の修羅場。野間文芸新人賞受賞作。

野間賞受賞
2008年
小銭をかぞえる

同棲する恋人との赤裸々な日常。男と女のままならぬ関係を戯画的に描いた短篇集。

2017年
芝公園六角堂跡

芥川賞受賞後の成熟した筆致で描く、加害者家族という業を背負った貫多の物語。

2022年
雨滴は続く(未完)

死の直前まで連載した遺作長篇。絶筆は作家・石原慎太郎への追悼文。

継続刊行
一私小説書きの日乗(随筆集)

日々の行動・食事を淡々と綴る日記文学。独特のユーモアで絶大な人気を誇った。

低学歴は作家の資源だったのか

松本清張は小学校しか卒業していません。中学卒業後に印刷工として働き、41歳でデビューした彼は、庶民の目線から社会の矛盾を鋭く衝いた社会派ミステリの巨人となりました。正規の学歴ルートを持たなかった者が、文学においてはかえって独自の視座を獲得した——その系譜に、西村賢太も連なります。

エリート文学青年が持ち得ない「底辺の生活実感」は、西村にとって最大の文学的財産でした。港湾荷役の現場で感じた筋肉の疲労、家賃を滞納して追われる焦燥、中卒という烙印が就職の入口で跳ね返してくる冷たさ——それらはすべて、作品の中に生きています。誰もが胸に持つこと、だけども誰も描けないことを西村氏は描いていた。と、同じ作家の町田康が語っています。

学校教育が磨かないものを、西村は古書と私小説への耽溺によって独力で育てました。正規の訓練を受けなかった者の、粗削りでありながら真芯を突いた文章。それが「破滅型私小説」という独自のジャンルとして、読者に刺さったのです。

「最後の私小説家」とも呼ばれる地位を確立した西村賢太。その称号は、伝統的な文学形式を現代に蘇らせた者への、最高の賛辞でした。

晩年と突然の死

芥川賞受賞後、西村は売れっ子作家となります。テレビにも出演し、その破天荒なキャラクターで一般層にも広く知られました。しかし暮らしぶりは、根本のところでは変わらなかったようです。酒を好み、夜更かしを繰り返す生活。健康には頓着しない日々。

受賞後も念願の「藤澤清造全集」(全5巻別巻2)の個人編集を続け、師への敬慕を生涯貫きました。死の直前まで文芸誌「文學界」で長篇『雨滴は続く』を連載し、2022年2月5日、東京都内の病院で死去した。54歳だった。関係者によると、4日夜にタクシー内で意識を失い、病院に運ばれていた。絶筆となったのは、2月2日付の読売新聞に掲載した、作家・石原慎太郎への追悼手記でした。

未完の全集、未完の長篇——いくつもの仕事を残したまま、彼は逝きました。54歳という年齢は、作家としての円熟期にさしかかる頃です。

タクシーの中で意識を失い逝った作家は、かつて『苦役列車』の中で、孤独死からの腐敗を恐れる場面を書いていました。人生の皮肉を、最後まで体で引き受けたような最期でした。

西村賢太という文学の意味

現代文学の主流は、繊細な心理描写や洗練されたスタイルへと向かっていました。そこに西村賢太は、まるで場違いなほど生々しい自己暴露の文学をぶつけてきた。泥と酒と欲望の私小説を、正統派の芥川賞選考会が受け止めたとき、文壇は確かに震えたのです。

文学とは何のためにあるのか。美しい言葉で美しい世界を描くためか。それとも、誰も見たくない人間の底を、目をそらさずに書くためか——西村賢太は後者を選び、後者を生き、後者のまま死にました。

松本清張が社会の歪みを小説の燃料にしたように、西村賢太は自分自身の醜さと惨めさを燃料にしました。低学歴、貧困、前科、暴力——それらを隠さず、むしろ剥き出しにして書き続けたとき、そこには奇妙な透明感と、人間への深い眼差しが宿っていました。

読者がなぜ西村賢太を読むのか。それはおそらく、どこかで「自分の中にも貫多がいる」と感じるからではないでしょうか。きれいごとを剥ぎ取った先にある人間の姿を、彼は誰よりも誠実に書いたのです。

苦役列車は終点に着いた。けれどその轍は、文学の土壌に深く刻まれたまま残っています。

西村賢太(にしむら けんた)
1967年(昭和42年)7月12日 ─ 2022年(令和4年)2月5日

第144回芥川賞受賞(2011年)「苦役列車」
第29回野間文芸新人賞受賞(2007年)「暗渠の宿」

(本人画像は毎日新聞より引用しました)

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