松本清張の生涯とは?生い立ちから社会派推理小説の巨人へ|おすすめ作品6選と松本清張賞

作家の生涯
松本清張 作家 自宅にて和服姿で寛ぐ

「社会派推理小説」という新しいジャンルを確立し、戦後日本の文学界に大きな足跡を残した作家、松本清張(まつもと せいちょう)。ミステリーだけでなく、歴史・時代小説、古代史研究、昭和史のノンフィクションまで、その守備範囲は驚くほど広く、生涯に残した作品はおよそ1000編ともいわれます。

しかも、本格的に作家として歩み始めたのは40歳を過ぎてから。遅咲きでありながら、亡くなる直前まで書き続けたその姿は、まさに「全力で駆け抜けた巨人」と呼ぶにふさわしいものです。

この記事では、松本清張の生い立ちから作家デビュー、ベストセラー作家としての活躍、そしておすすめ作品や、その名を冠した「松本清張賞」についてご紹介します。

松本清張の生い立ち|貧しさの中で育った少年時

画像引用:文藝春秋

松本清張(本名・清張=きよはる)は、1909年(明治42年)、福岡県の小倉(現在の北九州市)で生まれました。出生地については広島説もありますが、少年時代から青年期の大半を小倉で過ごしています。

家は決して裕福ではなく、清張は一人っ子として両親のもとで育ちました。学歴は高等小学校卒業まで。15歳で電気会社の給仕として働き始め、その後は印刷所で版下(印刷用の原画)を描く職人として腕を磨きます。

学歴社会のなかで「中卒」として生きる悔しさや、社会の底辺から世の中を見上げる視線は、のちの清張作品に色濃く反映されていきます。権力者や組織の闇、そこに押しつぶされる名もなき人々。清張文学の原点は、この苦労の多い青年時代にあったといえるでしょう。

その後、清張は朝日新聞西部本社(当時は九州支社)の広告部に入り、広告の図案を描く仕事に就きます。戦時中には召集を受け、衛生兵として朝鮮半島に渡った経験も持っています。

41歳での作家デビュー|『西郷札』から芥川賞へ

戦後、家族を養うために副業もこなしながら新聞社勤めを続けていた清張に、大きな転機が訪れます。

41歳のとき、『週刊朝日』の懸賞小説に応募した『西郷札(さいごうさつ)』が入選。翌年の1951年には同作が直木賞候補に選ばれ、作家人生がスタートしました。

さらに1953年(昭和28年)には、『或る「小倉日記」伝』で第28回芥川賞を受賞します。直木賞候補から芥川賞受賞という異例の経歴は、清張が大衆文学と純文学の垣根をまたぐ書き手であったことを物語っています。

芥川賞受賞を機に東京本社へ転勤し、1956年には朝日新聞社を退社。40代半ばにして、専業作家としての道を本格的に歩み始めました。

ベストセラー作家へ|「社会派推理小説」ブームの到来

清張の名を一躍全国に知らしめたのが、1958年に刊行された『点と線』です。

それまでの日本の推理小説は、密室トリックや名探偵の活躍を中心とした「本格もの」が主流でした。これに対し清張は、汚職や組織の論理、人間の欲望や動機といった現実社会の問題を正面から描きました。『点と線』は推理小説界に”社会派”の新風を生んだとされ、「社会派推理小説」ブームの火付け役となります。

同じ時期に『眼の壁』『ゼロの焦点』などを次々と発表し、「清張ブーム」が巻き起こりました。その後も『砂の器』『けものみち』などの話題作を世に送り出し、作家の長者番付の上位常連となるほどの人気作家となっていきます。

ミステリーからノンフィクションまで|多彩すぎる作品世界

清張のすごさは、推理小説だけにとどまらない点にあります。

1960年には、戦後の占領期に起きた不可解な事件の真相に迫るノンフィクション『日本の黒い霧』を発表。「黒い霧」という言葉は流行語にもなりました。さらに、二・二六事件などを扱った『昭和史発掘』では膨大な資料を読み込み、昭和の裏面史に光を当てています。

また、『古代史疑』などで邪馬台国論争にも参戦し、古代史研究の分野でも独自の説を展開しました。時代小説でも『無宿人別帳』『かげろう絵図』など多くの名作を残しています。

日本推理作家協会の理事長を務めるなど、ミステリー界の発展にも尽力した清張。晩年まで創作意欲は衰えることなく、1992年(平成4年)8月4日、82歳でこの世を去りました。遺作となった『神々の乱心』は未完のままです。

1998年には、故郷・北九州市に「北九州市立松本清張記念館」が開館し、東京の自宅の書斎や書庫が再現されています。

松本清張のおすすめ作品6選

数ある清張作品の中から、初めて読む方にもおすすめの名作をご紹介します。

『点と線』(1958年)

国鉄(現・JR)の時刻表とダイヤグラムを使ったアリバイトリックで知られる代表作です。東京駅のホームで「4分間だけ見通せる」という有名な場面は、今も語り継がれています。社会派推理小説ブームの火付け役となった、清張入門にぴったりの一冊です。

『砂の器』(1961年)

清張作品の最高峰とも称される長編小説です。殺人事件の捜査を追ううちに、宿命を背負った親子の過酷な旅路と、事件の哀しい真相が浮かび上がります。1974年に野村芳太郎監督で映画化され、日本映画史に残る名作として高く評価されています。

『ゼロの焦点』(1959年)

新婚間もない夫が失踪し、妻がその行方を追って北陸・能登へ向かう物語です。冬の日本海の寂寥とした風土と、戦後史の闇が重なり合う名作ミステリー。1961年と2009年の2度にわたって映画化されています。

『黒革の手帖』(1980年)

銀行の預金係だった女性が横領した金を元手に銀座でクラブのママとなり、顧客の秘密を記した「黒革の手帖」を武器にのし上がっていくピカレスク(悪漢)小説です。テレビドラマとして何度も映像化され、主演女優の代表作になってきた人気作です。

『或る「小倉日記」伝』(1953年)

第28回芥川賞を受賞した初期の代表作です。身体に障害を抱えた青年が、森鷗外の小倉時代の足跡を追い求める姿を描いています。報われない努力と孤独を見つめる清張のまなざしが、静かに胸を打つ作品です。

『天城越え』

少年と謎の女の道行きを描いた短編で、心理描写の巧みさが光る名作です。少年時代の淡い憧れと、その裏に潜む事件の真相が、回想形式で明らかになっていきます。1983年には田中裕子さん主演で映画化されました。

このほかにも『張込み』『鬼畜』『わるいやつら』『けものみち』など、映画化・ドラマ化された作品は数え切れません。清張作品は今もなお、映像の世界で新たな命を吹き込まれ続けています。

松本清張賞とは?|設立の経緯と主な受賞作家

松本清張の名を冠した文学賞が「松本清張賞」です。日本文学振興会が主催し、受賞作は文藝春秋から刊行されます。

社会派推理小説を確立し、歴史・時代小説やノンフィクションにも取り組んだ清張の業績をたたえて1993年に創設されました。当初は「広義の推理小説、歴史・時代小説」の短編が対象でしたが、第6回(1999年)から長編小説に切り替わり、第11回(2004年)からはジャンルを問わない良質なエンターテインメント作品を募集しています。ミステリーにとどまらなかった清張らしい、懐の広い新人賞といえます。

有名な受賞作家

横山秀夫(第5回)『陰の季節』
TBSでドラマ化もされた警察小説で受賞。のちに『半落ち』『クライマーズ・ハイ』『64(ロクヨン)』などのベストセラーを生み出し、警察小説の第一人者となりました。

山本兼一(第11回)『火天の城』
安土城築城に挑む大工の棟梁を描いた歴史小説で、2009年に東映で映画化されました。のちに『利休にたずねよ』で第140回直木賞を受賞しています。

葉室麟(第14回)『銀漢の賦』
『蜩ノ記』で第146回直木賞を受賞し、端正な時代小説の書き手として多くのファンを獲得しました。

青山文平(第18回)『白樫の樹の下で』
『つまをめとらば』で第154回直木賞を受賞した時代小説作家です。

阿部智里(第19回)『烏に単は似合わない』
当時20歳の大学生で、史上最年少での受賞でした。続編を含む「八咫烏(やたがらす)」シリーズで人気を集めています。

川越宗一(第25回)『天地に燦たり』
のちに『熱源』で第162回直木賞を受賞し、大きな話題となりました。

こうして見ると、松本清張賞は直木賞作家を何人も輩出している、エンターテインメント小説の重要な登竜門であることがわかります。清張の遺した「書き続ける精神」は、新しい世代の作家たちへと確かに受け継がれています。

まとめ|今こそ読みたい松本清張

貧しい家庭に生まれ、学歴のハンディを背負いながらも、41歳で作家デビューを果たした松本清張。そこから亡くなるまでの約40年間、ミステリー、歴史小説、ノンフィクションと、ジャンルの壁を越えて書き続けました。

清張作品が今も色あせないのは、事件の謎解き以上に「なぜ人は罪を犯すのか」「社会のどこに闇があるのか」という問いを描き続けたからではないでしょうか。格差や組織の論理といったテーマは、現代を生きる私たちにも深く響きます。

まずは『点と線』や『砂の器』から、清張の世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。映像化作品と読み比べてみるのも、清張作品ならではの楽しみ方です。

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