「アンパンマン」誕生秘話とは?出版社酷評!幼稚園児から人気に火がついた!感想、ネタバレも

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皆さん、こんにちは!
本日はブックレビューです。

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やなせたかし著「痛快!第二の青春 アンパンマンとぼく」(講談社)

「アンパンマン」誕生秘話とは?

受けるはずがない」とこきおろされた!
平成のヒーローはどうようにヒットしたか?
それがわかる単行本ですよ。口語で優しい語りで書かれています。世代が変わっても子どもたちに絶大な人気を誇るアンパンマンの誕生秘話がわかりますね。
感想、ネタバレも!

第一章から第十九章まで構成されています。
なかでも、興味深いのは以下の章です。

第十章 花開く
第十一章 超天才・手塚治虫の上京
第十二章 ライオンからアンパンマン
第十三章 悪評サクサク
第十四章 平成のヒーロー
第十五章 珍奇・第二の青春

この章あたりが、とくにアンパンマンの誕生にまつわる話、その周辺の動向とも言えます。
悪評サクサク」では、最初の「あんぱんまん」(ひらがな表記)の絵本が出版されたときの作者の印象が綴られていますね。悪評だらけだったのです。

入社試験を受けて高知新聞社に入社しました。競争率は相当高かったのですが、なんとか採用されて社会部に配属されたのです。
ここでまた運命の針がピクンと動いて、新聞社で創刊されることになった『月刊高知』の編集部に一年先輩の品原淳次郎氏と新入社員のぼく、やはり一年先輩の女性記者の小松暢(こまつのぶ)さんが異動させられました。
ぼくはここで雑誌の編集をすることになるのですが、記事をとることもインタビューも座談会の司会もすべて経験することになります。絵が描けるのでイラストも漫画も描き、活字指定から組み版レイアウトまで覚えたのは、その後のぼくの仕事にとても役立ちました。
おまけに小松さんと恋に落ちて、上京した彼女を追ってぼくも上京し、結婚してしまったんですね。
(第十章から引用)

ちなみに朝ドラ「あんぱん」(2025年春)は、やなせさんと奥様の愛と勇気の夫婦の物語です。

やなせさんは、新聞社でイラストや漫画も描いていたのですね。

ボニージャックスは『やさしいライオン』を絵本にする企画をフレーベル館に持ち込んで出版されることになったのです。
『やさしいライオン』は大好評で、ロングセラーになり現在も版を重ねています。
これで絵本作家としての信用がついて絵本作家としてデビューします。

ついに世に出たアンパンマンの絵本。
最初の絵本は『あんぱんまん』のひらがな表記。
カラーインクの色彩は地味で、アンパンマンは足が長く、砂漠で餓死寸前の人を助けるために自分の顔を食べさせる。
さらに森の中で迷子になった子どもに残り全部を食べさせたので顔が完全になくなり、フラフラになって飛んでいくうちに雷雨にあって工場の煙突の中に落ちる。
それがちょうどジャムおじさんのパン工場だったので新しい顔にかえてもらうと元気百倍、すこしも休まず、またひもじい人を助けるために飛び立つ!
それいけアンパンマン!
というストーリーです。

「アンパンマン」の最初の絵本は出版社が酷評!

高知にあるアンパンマンミュージアム

絵本が発売されると…。

出版社、絵本評論家、すべてに評判が悪く、
せっかく『やさしいライオン』がよかったのに、困りますねえ、アンパンマンはこれっきりで二度と描かないでください
と言われたり、
こんな絵本は図書館に置くべきではない」と、偉い絵本評論家にこきおろされました。

確かに、自分の顔を食べさせるなんて、当時は気持ち悪かったのかもしれませんね(出版社の大人には)。

それでも、やなせさんはこの絵本だけは一度はどうしても描いておきたかったらしい。

幼稚園児から人気に火がついた!

ところが……。
この絵本は幼稚園・保育園で人気が出て、図書館ではいつも貸し出し中。幼稚園に置いてある絵本は、読まれ過ぎてボロボロになってしまうという現象が起きていたんですね。
もちろん、やなせさんも出版社もまったく気づいていませんでした。

まっさきに反応したのは出版社の営業部門。

幼稚園・保育園の先生たちが口をそろえて、「アンパンマンの絵本を入れてください」と言うようになったからです。
こうして「アンパンマンのシリーズ絵本」を出版することに。
二十五冊。

平成のヒーローの誕生

アンパンマンが幼児に人気があるという噂はゆっくりと広がっていましたが、まだ世間ではまったく知られていなかったのです。

以下、本書からの抜粋です。

テレビ各社からアニメ化の企画は何度か持ち込まれましたが、いつもはかないシャボン玉、きらりと消えていくだけ。NHKからもお話がありましたが、『三銃士』と競合してあっさりキャンセル。

最後まで粘ったのが日本テレビで、同時にアニメの製作会社の東京ムービー新社(現在トムス・エンタテインメント)からも話がきたのです。

しかし、「アンパンマンなんて地味な絵本のヒーローが現代の子どもにうけるはずがない」という上層部の意見に押され、企画がパスせず三年ばかり空費。
ようやく昭和六十三年(一九八八年)の十月、月曜日の五時(当時は再放送番組用の時間帯)、何をやっても視聴率が二%しかいかない最悪の時間枠で、わずか関東四局のみで放送という心細い状態ではじまりました。

こうして、世界で数多くのアニメヒーローの中で自分の顔をちぎってひもじい人に食べさせるという前代未聞の平成ヒーローは、まったく期待されないまま、今度はテレビアニメとして飛び立ったのです。

明けて平成元年(一九八九年)三月、虎ノ門ホールで文化庁の優秀番組賞を受賞。日本テレビからは局長賞二回、赤坂プリンスホテルで声優の皆さんと感謝パーティーをして楽しかった。でもそのときは三年続けばいいかなぐらいの感触でした。

それが、まもなく全国放送になっていきます。テレビアニメ化も、テレビ局は最初はたいしてヒットするのは思っていなかった。

でも、園児がボロボロになった本を読んでいるのを知っていた社員がいたのです。
その人が尽力し、アニメ化を押し進めてたということです。

ところが、最初から七%という、この時間帯では破格の数字が出たのです。つまり潜在的なファンがすでに相当数いたということでしょうね。やがて絵本とグッズの売り上げが急上昇して、スポンサーもつき『アンパンマン会議』という組織になります。

そしてこの年から、それまでフジテレビをどうしても抜けなかった日本テレビの視聴率はぐんぐん上がって、ついに視聴率四冠王を達成します。
ぼくはそれがアンパンマンによるものだとは、毛頭思っていません。

このようにして今や大人気のアンパンマンが生まれたのです。
遅咲きの漫画家の苦悩がわかる一冊です。

まとめ

筆者は高知出身です。高知出身の著名人はたくさんいますし、歴史上の人物では坂本龍馬が有名でしょう。漫画家では圧倒的人気のやなせたかしさんでしょう。お亡くなりになりましたが、その功績は大きいですね。「アンパンマン」の誕生秘話をご本人が書いています。興味ある方はぜひ読んでみてください。

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